納屋を解体する長いレポート
烏頭のおやま計画、現状は先日キッチンの床を剥がしたところですが、
ハンマーでドカーン!!
何よこの写真…
納屋なので、木材は真っすぐな太いものとかはなく、製材もざっくりな感じなのですが、曲がった木の中心を見つけて製材するってどうやったんだろうと不思議だし、曲がったものを活かして小屋に組む技術はすごいんだろうなと、壊しながらも思います。
古いものは大好きなので、一歩引いて眺めると、壊すのがもったいない気もします。
でも、このまま小屋の土台に水が溜まって腐ったまま、というわけにもいかないのです。
もどかしいですね…。
かつての生活の中の技術を残せれば民俗学的価値があるだろうけれど、自分はかつての人と同じ生活者として、時代が下った今ここに手を加えているだけなんだなーとか、ゴチャゴチャ考えたりもしました。
昨年から藁ぶき屋根の勉強をさせていただいているんですが、ちょうど、この2日目と3日目の作業の間に、京都まで行って屋根の上で葺き作業を体験したところでした。
講師から「自分の立っている足元を信用してはいけない」と言われましたが、まさしくそれ。
信用せず登って、そこで仕事をする。
鳶仕事の深い世界をちょっと覗いた気分です。
ちなみに、高所作業をしていたらちょっと痩せました。インナーマッスルが蘇り、出産で開きっぱなしだった骨盤が今さら戻ったよ、母ちゃんは。
うーん、おめでとうございまーす…?
昔の建物は、下から柱と梁を組み上げて屋根を固めながら、だんだん強度を作って行くんだなーと実感しました。屋根部分がなくなったあたりで、すでにユラユラと緩く動く状態でした。
チェーンソーで切ったところも、緩~く作ったホゾ穴に木材を組んだ後に、木片を楔に打ち込んで固定していました。このやり方なら、「様子を見ながら固める」ということができそう。
足場にしていた「ゆわんゆわん」の床のような、全体で強度を作るような感覚なのかな。
茅葺き屋根の構造を教えてもらったときに、「総持ち」という言葉が出てきました。
茅葺き屋根の骨組は、竹を藁縄で組んで結び合わせて籠のように作って行くのですが、一カ所ではそれほど強く固めることができません。でも、全体が組み上がったときに総合的に強くなっているのだそうです。
いわゆる「古民家」を、現代の建築基準法では建てられない構造の建築物だとすると、屋根だけではなくて建物全体にも「総持ち」の感覚があるのかもしれないなー
などと思いました。
うーん、勉強になります。
同じ生活者として、以前の生活者が作ったものを分解するわけだけれど、技術だけじゃなくて考え方とか、素材との付き合い方とかも違っていて、発見があって。
本当はもっと優秀な設計者だったら、もっと学ぶところ大なのだろうけど、ご勘弁を。
解体も、自分でやってみると面白い。
楽しかったです。
その前に納屋の解体の様子を、記録のためにもレポートさせてください。
昨年の夏には、このようなものが建っていたんですよ。
梁が、離れの建物にちょっと絡んでいるように見える納屋。
ここには、排水処理のための浄化槽を置くので、解体することになりました。
はじめての鳶仕事です!
ふつー鳶は初めてだろーよ!
大工さんに、「上から順番にバラしていけば解体できるよ」と雑駁なアドバイスをいただき、工務店で数年住宅設計をしていた浅薄な知識とオーバー40の肉体を駆使して、解体してまいります。
1日目。
母ちゃん初めて屋根に登る。
そして作られた順にバラせばいいのだ!と閃き、瓦を一枚づつ外して、ほとんどは下にぶん投げました。
写真のようなコンクリート瓦は今では作られていないので、本当は壊さないで取っておきたかったんですが、一人の作業なので、それが精一杯でした。残念。
2日目、
主人が来て瓦を受け取ってくれたので、一部破壊せずに残せた。
いえい。
40過ぎて屋根に登る人生とは思いませんでした。
ちなみに、黒いゴムの田植え足袋で屋根に登りました。
職人さんは足袋を履いてるので真似したんですが、とても良いです。
足裏感覚が使えると安定感も安心感もある。
そんで、この後ほんとの地下足袋を買ったんですが、フィット感があって、もっともっと良い!
みんなで履こう、地下足袋!
わたしが履いててもピンと来ないかもしれないけど、この子が履いていると思ったら素敵でしょ。
茅葺き師匠、岡ちゃん可愛い!!
えーと、なんの話だっけ…
そうそう、
引き続きまして、野地板と垂木を外してまいります。
バールを使って釘を抜きながら外します。
後半、作られた順と逆にバラしていくと、自分の足場をどんどん壊していくことになるんだな。と気づきました。ただ逆にやったんでは自分が落ちるじゃないですか。あほですか。
そこで「作るときは上から釘で打って垂木を留めているので、下からからハンマーでぶん殴ると取れる」ということを発見しました。
賢いやり方。仕草は野獣のようだが。
そして3日目、助っ人が来てくれました。
ありがとうございます、岡山県民局の方…
めっちゃ捗る。
何よこの写真…
屋根を張る垂木より下は、ほとんど釘を使っていませんでした。
ホゾ穴に差し込んで組んでいるので、ハンマーでゴンゴンして抜いていく感じです。
助っ人のおかげで、上半分が解体できました!
納屋なので、木材は真っすぐな太いものとかはなく、製材もざっくりな感じなのですが、曲がった木の中心を見つけて製材するってどうやったんだろうと不思議だし、曲がったものを活かして小屋に組む技術はすごいんだろうなと、壊しながらも思います。
古いものは大好きなので、一歩引いて眺めると、壊すのがもったいない気もします。
でも、このまま小屋の土台に水が溜まって腐ったまま、というわけにもいかないのです。
もどかしいですね…。
かつての生活の中の技術を残せれば民俗学的価値があるだろうけれど、自分はかつての人と同じ生活者として、時代が下った今ここに手を加えているだけなんだなーとか、ゴチャゴチャ考えたりもしました。
ちなみに、これが足場。
床じゃないのよ、色んな長さの板とか藁で編んだ袋が互い違いに重なって、なんとなく床っぽくなってるの。
立った感じを表現すると「ゆわんゆわん」、です。
しかしここを足場にするしかないことも多く…。
高さは一般的な2階より低いですが、屋根に乗るよりこっちの方が怖かったです。
昨年から藁ぶき屋根の勉強をさせていただいているんですが、ちょうど、この2日目と3日目の作業の間に、京都まで行って屋根の上で葺き作業を体験したところでした。
講師から「自分の立っている足元を信用してはいけない」と言われましたが、まさしくそれ。
信用せず登って、そこで仕事をする。
鳶仕事の深い世界をちょっと覗いた気分です。
ちなみに、高所作業をしていたらちょっと痩せました。インナーマッスルが蘇り、出産で開きっぱなしだった骨盤が今さら戻ったよ、母ちゃんは。
3日目を終え、納屋はこのようになりました。
これだけでも、だいぶ風の抜けがいい。
4日目。これが解体最終日となりました。
だんなさん、今まで何してたの?って聞かれそうなんですが、周辺に居ました。(笑)
高所恐怖症なので、建物が高い時はほとんど上に登ってこなかったですが、高さがなくなってくると活躍してくれました。
隣の建物と絡んでいた梁を切る前には、念のためその梁の下に新しく柱を入れました。
納屋側の梁が、離れ側の梁の下に入っていたので、そこで上に持ち上げる働きをしている可能性もあるかなという判断です。
最初に大工さんに診てもらった時に、念のためやったほうが良いと指示がありました。
この辺は主人が、覚えたてのチェーンソーを使ってやってくれました。
上の方は、いきなり崩れて自分が落ちる危険もあったのでじっくりバラしましたが、ここからはちょっと思いきることに。
ホゾが抜けなかった柱と梁の繋ぎ目あたりを、チェーンソーで切ってみると…
あれ、手前が倒れた…?
で、もう2カ所ほど切ると…
バラバラと全部倒れてしまった…!
「ははは、倒れちゃった」と、腑抜け笑いみたいのが出ました。
昔の建物は、下から柱と梁を組み上げて屋根を固めながら、だんだん強度を作って行くんだなーと実感しました。屋根部分がなくなったあたりで、すでにユラユラと緩く動く状態でした。
チェーンソーで切ったところも、緩~く作ったホゾ穴に木材を組んだ後に、木片を楔に打ち込んで固定していました。このやり方なら、「様子を見ながら固める」ということができそう。
足場にしていた「ゆわんゆわん」の床のような、全体で強度を作るような感覚なのかな。
茅葺き屋根の構造を教えてもらったときに、「総持ち」という言葉が出てきました。
茅葺き屋根の骨組は、竹を藁縄で組んで結び合わせて籠のように作って行くのですが、一カ所ではそれほど強く固めることができません。でも、全体が組み上がったときに総合的に強くなっているのだそうです。
いわゆる「古民家」を、現代の建築基準法では建てられない構造の建築物だとすると、屋根だけではなくて建物全体にも「総持ち」の感覚があるのかもしれないなー
などと思いました。
うーん、勉強になります。
同じ生活者として、以前の生活者が作ったものを分解するわけだけれど、技術だけじゃなくて考え方とか、素材との付き合い方とかも違っていて、発見があって。
本当はもっと優秀な設計者だったら、もっと学ぶところ大なのだろうけど、ご勘弁を。
解体も、自分でやってみると面白い。
楽しかったです。