楽しくないこと 2

楽しくない話の続きです。
まだ ぶちまけた梅ジュース、片づけていません…



人間の暮らしの近くにいて、手放しでは喜べない生き物たち。
イノシシ、ヌートリア、サル。
最近は今までなかったクマの目撃情報が何件もあり、行政や幼稚園から注意喚起の情報などが流れて、緊張がはしりました。
シカも少ないけれどいるらしい。アナグマも農作物を食べてしまいます。

野生動物が近くにいるということは、それらが「害獣」になることも同時に起こっています。
山間地では、害獣除けの電気柵や金網を設置して農業を営むところが多いです。
みんなの課題ですから、設置のための補助金もある。
主人は罠猟の免許を取りました。協力隊の先輩や、若い移住者でも免許を取った人が何人かいます。
害獣駆除のための若手猟師確保は田舎では喫緊の課題。
山間地での狩猟は、地域維持の側面があるんですね。

ジビエ美味しい、スポーツハンティングとして技術の向上、自然や命のやりとりを自分の体を使って感じること…?
生き物を狩るには色んな側面がありますが、「害獣が出たから捕まえておくれ」と必要とされてもいるのです。

捕まえたら、殺します。
食べたり、食べなかったりします。


スズメと衝突事故したことを正当化するわけじゃないですが、
たくさんのロードキル、害獣駆除、当然農村は農薬もまいて害虫駆除もあるわけです。

たくさん死ぬなー…と思います。
たくさんいるから、たくさん死ぬのも目にします。

残酷でしょうか?

山で暮らしたいと思って、美星に来ました。
移住してきて一年、
山は最前線だな、というのが私の感想です。

人間界と自然界を模式図的に分けることができるとしたら、その二つの世界が隣り合い、混じり合っているエリア。

里山保全という言葉はよく聞くようになりました。
里山は、自然と人間の生活領域の中間の地帯。その重要性が見直されています。

自然状態に対して、人の手を入れた「緩衝地帯」のようなものなのだと思います。
自然豊かなところに住むということは、その緩衝地帯の中に住んでいることになる。
緩衝地帯を作る人になるということ。

そこで人間は共存しているんでしょうか?戦っているんでしょうか?


ちなみに、横浜に住んでいた時も、山にくっついた家に住んでいたので、でっかいムカデとかアシダカグモくらいは出ました。
基本戦いませんでした。ゴキブリくらいかな、戦ったのは。
それが可能な程度だったとも言えます。

わたしたちも、今はまだ美星の中心部にある市営住宅に住んでいるので出来ませんし、必要もないですが、今後定住のための家に移れば、殺生があるでしょう。

あの足の短いカピバラみたいなヌートリア、新しくお借りした田んぼの貯水池に住んでます。
周りの作物が食べられてるようです。駆除しないとなーと話しています。
イノシシも、畑をほじくり返しに来るそう。
地域の役にも立てるので、捕獲すると思います。

都市部にいるとき、近所で除草剤をまかれると、何するのー!!って思っていました。
子供もいるし、嫌でした。
今でも嫌ではありますが、なにするのー!!とは思いません。

美しい緑。つまりもう周り中、草草草草草草草草草草草草草草草草。
放っておいたら数年で木が生えてきます。木木木木木木木木。
集落が山に帰ってしまうわい。
なので草刈りが生活の中で大事な仕事になります。
住民同士でも、草刈ってくれたかな?と気にし合うことになる。
近所に迷惑をかけないように、草刈りをします。
範囲は広いです。都会とは比べ物にならない。

で、手が回らなくなれば、除草剤を使う人もいる。

そういうことが、住んでみて分かるようになりました。
否定ではなく、自分がどうしようか考えるようになってきました。
じゃあ田んぼの草刈り出来ているかというと、ダメ住民なのですが…


都市部は、前線から離れています。
だから、「自然」が人間の日常にもたらす利益と不利益の見え方が違う。
山奥にひとり取り残されて「自然にやさしく」、とはちょっとならないですよね。
自分の身を守る。

共存しているか、戦っているか。
里山に暮らすことは、たぶん、暮らしているだけのことなのです。
それが、緩衝地帯として、結果的に機能している。

木を切る、動物を狩る、虫を殺す、「自然」に手を加える。
どのように暮らすか。
里山の暮らしは、環境保全、動物愛護、いろんな側面から見ることができますが、当事者になってみえたことを大事にしたいと思っています。


楽しくないことの話だった…
ごめんなさい、だいぶ脱線しました。

あと、井原市南部は市街地機能が充実していまして、全部が最前線ではないです。だいじょうぶ。

さて……梅ジュース片づけまーす。
ああ、はちみつ漬けの梅ジュースだったのに!楽しくなーい!